パチンコは麻薬 RE:BORN

パチンコは麻薬 酔いとしてのパチンコ

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泥酔者たち・・・酔いとしてのパチンコ

(「パチンコの断章」から)

それで当時は収支メモを付けていたので、パチ屋での行動は思い出せるんだが、それ以外の日常は殆ど覚えていない。
当時はパチンコに熱中していたことしか覚えていない。
パチにのめり込むより前の昔の方が思い出として記憶に残ってるのだが。
我ながら愕然となった。

 

社会に出てると辛い事もあるが、そればかりではない
仕事、恋愛、遊び いろいろ学ぶ事は沢山あるし、楽しい事もある
若さあふれる楽しい20代をパチンコだけで終わらせるのは勿体無いし
きっと後悔することになるよ>20代パチプ

 

パチ屋にいるパチ歴何十年のオヤジの話聞くと、
自分は若いつもりでいるらしい。
台に向かう様は少年っぽさを残す挙動をみせるし、
脳内自体は「実際に」若いんだろう。

パチと言う現実逃避を繰り返しながら、
感性が成長する人生の中の貴重な機会を
ギャンブルの世界で塩漬けになって、ことごとく逸し、
「頭の中だけ」は、若いまま真空パックされる。

 

昨日、偶然当時の写真をみつけた。
つまらない人生を送っていたと思っていた私にも
友人や恋人とスキーや旅行に行ったこともあったのだ。
そんなことすら忘れていた。

甘美な思い出は、すべてパチンコ以外のことであり、
その時間を極限まで奪ったのはパチンコだった。

 

頭の中はパチンコにのめりこむ以前に得た知識や思考パターンしかない。
だから30過ぎても、10代後半のDQN丸出しの思考&行動をしがちで、 その結果ますます周囲から人がいなくなり、思考状態停止でもできるパチンコにのめりこんでいくことになる。少なくともパチンコを打ってる間は
孤独を感じなくてすむから。

・・・・・本当に寂しい娯楽だよな。

 

青春をパチンコに費やしてしまった。
いろんなことがあったはずなのに、思い出すのはパチンコに関することばかり。

 

▼空白の時間

一般の人というのは、パチンコ屋にいる人たちのことをみると、なぜ彼らはあんなつまらないことに時間を使えるのか心底不思議に思う。

パチンカー自身、依存から回復してみれば、パチンコに夢中になっていた自分はいったい何を考えてみたのか理解できず、失った時間を身がちぎれるほど後悔するものである。

この種の後悔は、パチンコのようなごく一部の活動にのみ発生する。過ぎてしまえば辛かったこともたいてい甘美な思い出になるものだが、パチンコの場合、その思い出自体がないのである。パチンカーは「過去を悔いる」のではなく、「過去がないことを悔いる」。自分の人生がすっぽり抜けてしまったことを悔いるのである。なぜ、こんなことが起きるのだろうか。

▼一種の泥酔状態

ギャンブルの興奮が「酔い」をもたらすことはよく知られている。パチンコの大当たりによって脳内に快楽物質を喚起し、それが興奮をもたらす。つまり、脳内麻薬によって一種の酩酊状態にあるといえる。

酩酊といっても、単純に酒の酔いと一緒にすべきではない。誰かと酒を酌み交わしながら過ごす時間というのは、心の緊張を解いてより親密な交流が可能になっている時間であり、むしろ酒の席の語らいはいい思い出となることがある。

一方、パチンコというのは、一人で機械の前に座って酔っぱらっている状態なのだ。液晶の数字がそろったかどうかなど、人間にとって思い出になる要素はどこにもない。わずかな金につられて興奮している当事者というのは、それに気付かない。

▼パチンコの「酔い」は日常と人生を奪う

パチンコ依存の状況になると、徐々にパチンコが日常の中心になる。毎日、仕事帰り・学校帰りにパチンコ屋に立ち寄るようになり、場合によっては、朝からパチンコ屋に入り浸るケースもある。脳内麻薬を求めるあまり、パチンコをしていない時間が虚しいものに感じられ、パチンコが心の多くを占めるようになる。

その結果、あらゆる出会いや交流の機会、あらゆる人間関係よりパチンコを優先するようになる。つまり自分の人生よりパチンコの方を選ぶわけだ。

このようにパチンコに熱中した時期というのは、人生の記憶を極限まで失っている時期である。酔いから醒めてみれば虚しさと後悔しか残らない。パチンカーは、もし自分の人生を精一杯生きていれば、たとえどんな結果になったとしても滅多に後悔はしなかっただろう。しかし、パチンコ屋に行って日々酔っぱらうことを選び、自分の人生を生きていなかったからこそ、本当の意味で後悔することになったのである。

 

▼アルコール依存との類似点から

パチンコの「酔い」に依存してしまう点に注目するならば、同じように「酔い」に耽溺するアルコール依存症が参考になる。実際、ギャンブル依存を「シラフのアル中」と考える専門家もいる。

そこで、アル中について簡単に考えてみたい。
(以下、斉藤学「アルコール依存症とは何か」を参考)

まず、アルコール依存者とはどのようなタイプの人たちだろうか。多くのアル中に共通しているとされる人格は以下のようなものだという。

1.シラフのときに、人前で緊張しやすい。人付き合いが苦手。偉ぶる。
つまり自然な人間関係ができない。

2.ひがみっぽくて怒りやすく、恨みを抱きやすい。
些細なことで、馬鹿にされた差別されたと怒り出す。

上記のような人格は、世間では一般に「自信がない人」とされる人たちかもしれない。実は上記のタイプに加えて「権威主義」というのもアル中のよく見られるタイプだという。まさしく、自信のなさを補填するために権威を持ち出すことになるのだろう。

 

▼なぜ、そういうタイプになるのか

「自信がない」という言い方をもっと適切に言い換えるなら、「自己の人格の基礎ができていない人」という表現になる。

自分の人格の基礎ができないために、日常が自分を強化する形で経験できない。常に自分の存在を肯定することに躍起にならなくてはならず、人々の称賛に敏感になって緊張したり、人付き合い自体が疲れるものになる。

また、自分自身に安定感がないために、孤独を感じやすく寂しがり屋になる。誰かに(母親に)抱きしめられたいといったタイプの乳幼児的な欲求がいつまでも心に巣くうことになる。(分離不安の持続)

こういうタイプになった理由は、様々な要因が考えられるので一概には言えない。しかし、(脳の構造といった)生得的な性質がまずあり、それにたいして人格形成期の環境が分離不安を助長する方向に作用していると考えられる。

ひとつ忘れてならない点は、日本では10代の若者達をパチンコ漬けにしているという事実である。パチンコという麻薬が無制限に放置された日本の社会は、不安定な思春期を生きる環境として最悪の部類に入る。パチンコにおぼれることによって思春期を超えることができず、幼児性を強く残したまま年齢だけを重ねてしまったケースは膨大な数にのぼると推測される。

 

▼「怒り・恨み」は依存のキーワード

そのように幼児のまま大人になってしまった場合、その大きな特徴は心の中に巣くった「恨み」である。実際、パチンコ依存者に接すると心の奥に「恨み」を抱えている印象を受けることがある。あらゆることにひがみっぽくて恨みがましい。また、何か嫌なことがあると自分の中で不満を処理できない。そして、大切な金を散財する自傷的行為に走ったり、「酔い」によって発散しようとするのである。

このような心の中の「怒り」「恨み」というのは、幼児性の最たるものである。幼児を観察すれば自明なことだが、幼児というのは客観的な理解もできないし、他者の存在を想像することもできない。すべて自分の感情を起点にしているため、気にくわないことや意に添わないことがあるたびに怒りが発生し、それをどこかにぶつけるしかない。
これは世界と自己が未分化であることを意味する。生まれたばかりの乳児にとっては認識力が発達していないため世界=自己の状況にあり、自分の世話を焼く母親は意識のうえで自己と分かれていない。しかしやがて母親が自分とは違う存在であることを徐々に意識するが、まだ完全に自己と別の存在として認めることができないため、母親が自分の意のままに世話をしてくれないことにたいしてフラストレーションをためる。

これはまさにパチンコ依存者の親子関係に見られることである。幼児性を残した親子関係においては、未だ親(家族)と自分の存在を分離することができず、自分の意に沿わないことで怒りを向けるのである。もちろん、そのケースでは、親がそういった関係を許してしまっている点も無視できない。つまり親と子のどちらにも相互依存関係があり、まさに未分化の状態にある。その結果、「期待と失望」「執着と怒り」というありがちな家庭内の消耗ドラマが繰り広げられる。この未分化な関係は思春期を過ぎて成長するとともに脱皮するはずなのだが、パチンコ依存者における親子関係においては思春期以前がいつまでも継続してしまっているのである。

生まれた人間が最初に出会う他者(世界)は親であり、だからこそ親子関係をみればその人の世界にたいする姿勢が明白に表現される。いわゆる分離した関係においては、親が他者であることを受け入れ、その多様性を許すとともに適切に対応できる。しかし自他未分化のまま成長すると、意のままにならない「怒り」を常に抱えることになり、それは社会に出たときには他者との関係に繰り返される。他者にたいして、思い通りにならないことへの怒り・恨みが常にわき上がってしまうのである。ひいては、他者の抽象的な集合である世間一般にたしても、なぜ自分をわかってくれないのかというタイプの恨みを蓄積することになる。

そのように自他が未分化な人というのは、他者との関係において他者を思い通りにするか、そうできずに恨みを抱えるかという権力関係になりやすい。上下で支配する関係以外の関係を他者と結ぶことができない。これは、単に強圧的に支配するという意味ではなく、場合によっては他者に過剰に尽くしたり、他者に過剰に適応することによって、その報酬として自分の意のままになってほしいという共依存関係になる。まさに、分離不安→自他未分化→依存関係という図式をそのまま進むことになる。

 

▼「怒り・恨み」の抑圧と無気力化。そして悪循環

上記で述べたように、幼児性の象徴ともいえる自他未分化を残したまま成人になってしまうと、他者(世間・世界)にたいする怒りや恨みが常にわきあがり、さすがにそれを発散しては社会で生きていけないので抑圧することになる。

社会の中での振る舞いにおいて自分の感情を常に抑圧することになり、その結果、自分の内的な感情を疎外することに慣れるしかなくなる。そうなると感情が鈍化し、生気も失うことになる。生きる喜びを失って、すべてが虚しく感じるようになる。

このように恨みが心中に巣くっていると、その後あらゆる人との人間関係が腐敗する。誰に対しても恨みの感情をぶつけるようになり、他者と愛情ある人間関係が構築できなくない。その結果、孤独になるのである。

上記のような人は、アルコールやギャンブルの「酔い」に依存しやすい。「酔い」は、自分に高揚感や万能感をもたらし、日頃の自己批判を外す。また、酔いによって自分の境界があいまいになり、一体感を喚起して孤独感を癒す。その結果、「恨み→寂しさ→酔い」という悪循環ができあがる。

▼酔いから醒める価値は人生にあるか

以上、アルコール依存の解釈をおおざっぱに見てきたが、酒を飲んだか飲まないか、パチンコをやったかやらないかの問題ではなく、全人格的な問題であることは明らかだろう。

パチンコの「酔い」に依存してきてしまった人は、恨みと虚無を抱えている可能性が高く、それによって今現在、苦境に陥っている人かもしれない。そこから脱却しようにも、そもそも人生や日常に喜びを見いだせない人たちである可能性が高いのである。

一つ言えるのは、そういう人はパチンコをやっていようがやっていなかろうが、いくら表面的に平穏にみえる暮らしをしていようとも、心の中は嵐が吹き荒れコントロールできない状態だっただろうということだ。

人生にたいする喜びを感じられないように歪められた現状から脱却するためにも、依存と取り組むことは有益である。依存から脱却する過程でその歪みに気づき、回復するケースは多い。

 

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  • この記事を書いた人

ヒキパパ(HKPP)

脱パチをして任意整理をした借金を返済しながらゲームや子育てを楽しんでいる30代の引きこもり大好きパパです。 家で楽しく過ごすために日夜頑張っています!

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